日本人は手をあげる人が少ない問題
学校の先生から、
「生徒がなかなか発言してくれなくて」
という嘆きが聞こえてきます。
これはなにも学生に限った話ではなく
国際社会でも、
日本人というのは
なかなか発言しない奴らだ…
と思われてるとかいないとか。
「国民性」と言ってしまえば
それまでですが、
やはり国際社会に出ると、
「発言しないのは給料泥棒」
と思われてしまうので、
ここで原因を考えてみたいと思います。
発言しないことが美徳だ、
という考えもあるかもしれませんが、
主な原因は実は
学校教育にあるのではないかと。
「わかるやつは手をあげろー」
というのは、今も昔も定番のセリフ。
しかしこれでは
「わかった人」しか
発言できない状況になってしまいます。
しかも発言して間違えれば、
「なにを聞いていたのか!」
と叱責を受ける始末。
これでは、100%の自信がある人しか
手をあげることができません。
この経験から
私たちは知らず知らずのうちに
挙手=100%の自信がないとダメ
と認識してしまっているのかも。
しかし本来、発言の意義は
「考えの共有」にあります。
質問した生徒側からすれば、
「こういう考え方をしたのですが
どうでしょうかね?」
と聞き、先生からの回答を得ることで、
考えを整理する。
先生側は、生徒がどういうところで
ひっかかってたのかの知見を得て
次回以降の授業に活かす。
周りにいる生徒は、
質問した生徒の話を聞くことで
自分では気づかなかった
落とし穴を知ることができる。
本来、多人数で授業をする理由は
ここにあった思うのです。
100%わかる人しか発言しないのでは
共有機能が働きません。
わからない人もわかる人も
どんどん発言をすることができる環境を
整えることが学校や塾の
役割なんだと思います。
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